水戸市役所バレーボール部

「元スーパーダメダメ公務員」で、現在は「有限会社アポロ情報工業」というソフトウェア開発の社長をしている岩永美香です。4つ目のブログとなります。
今日はクリスマスイブですね。
(´∇`)<Merry☆Christmas! Jingle Bells♫ Jingle Bells♦♫♦・*:..。♦♫♦*゚¨゚゚・*:..。♦
先日、久しぶりに水戸に買い物に行きました。自分のものは買う予定ではなかったのですが、ふと見たら、どうしても離れがたくなり自分へのクリスマスプレゼントとして買った物が下のハンカチです。クマ、好きなんです。

今日はクリスマスイブということで、私のお役所生活の中で少しだけ華やかだったバレーボールの話をさせて頂きます。
中学生からずっとやってきて、35年間、バレーは生活の一部でした。
ポジションはずっとアタッカーでした。9人制のハーフライト。ライト側からオープンで打っていて、エースアタッカーではありませんでしたが、18歳から退職する49歳まで基本的にはそのポジションでした。その間、20歳から12年間、雑用係兼キャプテンも務めました。
水戸市役所バレー部の黄金時代は私が38歳、39歳の時。それまで茨城県内での優勝は当たり前でしたが、この2年間は関東甲大会でも優勝!
戸籍係に着任する1,2年前です。
20代のレフトのウイングスパイカー(と今は言うらしい)と、私と同期で同い年のレフトからのクイックスパイカーはいつものようにビシビシ決めていましたが、その優勝した2年間はライトのウイングスパイカーである私も決定率が良かったのです。
チームのメンバーは「今まで負けたのって美香のせい?」みたいに言う人がいたり、「美香ちゃんはやればできる人だって思ってた!」と、いきなり勝ち負けを人のせいにする楽しい面々でした。
決定率を上げた原因は、その少し前までは、「脳みそまで筋肉?」のような力任せのアタックでしたが、そろそろ頭を使わないと年齢的に決められないと自覚した事にあったと思います。
さらに、その時は、「いつもと同じでは勝てない。ミラクルを起こさなければ。」という思いが、なぜか急に強く頭に浮かんで来た事もよく覚えています。
そういう思いは連鎖をするのか、スパイカーはもとより、レシーバーもノリに乗って、ファインプレー続出の試合となり、心地よい緊張感もありました。
ただ、40も近くなると決勝戦に行く前に体力は限界、「ユンケルなしでは戦えない」みたいになり、試合後にバレーシューズを脱いだら、靴も靴下も血だらけで両の親指の爪が剥がれていたりと、身体的には過酷だったようです。
それでも 「関東甲大会優勝」というのはハッピー指数が相当高くて、痛いとか、疲れたなんて意識することもなく、ただただ幸福感だけでした。
バレーボールに関してはスーパーダメダメではなかったと思っています。
仕事じゃないんですけどね(笑)
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